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マインハルト3世 (チロル伯) : ウィキペディア日本語版
マインハルト3世 (チロル伯)[まいんはると3せい]
マインハルト3世(''Meinhard III '',1344年2月9日 - 1363年1月13日)は、14世紀チロル伯上バイエルン公。上バイエルン公ルートヴィヒ5世とチロル女伯マルガレーテの次男。
1359年オーストリア公アルブレヒト2世の娘マルガレーテと結婚。1361年に父が没し、上バイエルンとチロルを相続した。しかし、病弱でありその領土を巡って義兄のルドルフ4世と叔父のシュテファン2世が対立しており、マインハルト3世は初め叔父に引き取られてミュンヘンに連れて行かれるが、後にルドルフ4世によってチロルに戻された。
1363年、子が無いまま死去。直後にルドルフ4世がチロルに急行、チロル女伯マルガレーテからチロルを譲渡させたが、シュテファン2世が異議を唱え、戦争を起こした。最終的に1369年に和睦が成立、シュテファン2世が上バイエルンを取得、ハプスブルク家がチロルを領有した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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